Startup Abroad Life

明日死ぬかもしれない僕はまだ、夢を追う旅の途中

本を読む/情報を得るときの自分の姿勢について

「情報のインプットに焦点を置こう」という直近の自分の決意を軽く打ち砕いた本がある。

 

読書について (光文社古典新訳文庫)

読書について (光文社古典新訳文庫)

 

 

内容としては、「読書は自分で考えることを放棄し誰かに考えてもらう、いわゆる思考停止ツールである。」「読書はあくまで他者の視点が欲しいとき、仮説を立てたうえでそれを確認するときにのみ使用すべき」「世の中の書き手は金を稼ぐために読み手を陥れ、読み手は何も知らずその作品・情報を喜んで受取りカモになっていく。」などなど、受け身で読書をすることの危険性と哀れさを説いている。*「」の中は自分の解釈であり、著者の意見を正確に捉えたものではない。

 

自分は、大学生時代に読書に目覚め、多くの本を読んできた。その過程で得た語彙力や文章力、意見する力を、その後の自分は“持ち味・強み”と言うようになった。そして少し前まではその特徴を“良し”としてきた。

 

しかし、この本で述べられていたのは「読書で得た知識や思考・見解を寄せ集めただけで、偉ぶる人が世の中に数多くいること。そしてそんな周りの意見で塗り固められたあなたの脳から、新しいものを生み出す力はない」ということ。

 

確かに、今までの自分は、著名人・権力者の意見をいつも引用して、意見を述べてきた。そこに自分発の意見はなかった。「○○がこう言っていたから、こうなんだ。」というのが多かった。

 

社会人になって、ある役職に就いて、“自分ですべて考えて創り出していかなければいけない”という状況に立たされた時、アイデアが何も思い浮かばなかったし、手も足もできなかった。「あれだけ本を読んできたので自分の番になると、なぜ何もできないのか?」と疑問に思ったことがたくさんあった。

 

別に、周りの意見を知る・聞くのは何の問題でもないが、それらを行う大前提には“自分の確固たる仮説・考えが基になければならない”。そして、それを考える時間・手間・習慣が今の自分に必要なのだろうと思った。*こうやってダラダラと文章を書くことも、この本曰く“恥ずべき事”なのだろう。

 


つまりは、

①考える時間をもっと増やすこと

②考えたうえでインプットすること

を大事にしていこう、ということである。

 

 

これからのブログでは、

あるテーマに基づいた自分なりの考えを書き連ねていきたい。

些細なことでもいい。自分の力で考えられて、それをわかりやすい言葉で発信するための場を持ちたい。

 

「この本を読みました。○○がこう言ってました。こう思いました。」という受け身の姿勢は今すぐ辞めよう。そう思った次第である。